カディス その1
例年通り、アンダルシア地方の都市マルベヤ(Marbella)で休暇を送っています。今回は義両親が快く子供達の世話を引き受けてくれたお陰で、子供達を二人に預けての一泊二日の旅行をしてきました。行き先は「光の都市」と呼ばれているカディスです。
アンダルシア地方にあるカディス県は美しい海や浜辺、自然公園等でスペイン人の間でも人気のある場所ですが、そのカディス県の都市カディスは歴史的にも重要な場所としてよく知られています。まずはその一部をご紹介します。
⚫︎光と海
カディスは海に囲まれた都市で大西洋に面しており、都市の中心の長さは1.8km、幅は1,2kmとかなりコンパクトにまとまっています。道に迷っても通りの向こうを見れば海が見えるという感じで、本当に道に迷うということはまずありません。旅行者にとっては非常に歩きやすい都市でしょう 。
また、大西洋に沈む夕日の美しさは格別で、地元の人は「世界で一番美しい夕日」と言っていました。多少大げさにも聞こえますが、海に囲まれた場所から見る夕陽の美しさは、スペイン中央で見る平原の夕陽とは異なった美しさがあり、とても印象に残りました。
また、大半の建物が白いということもあり、海に反射する光と建物に反射する光、海を身近に感じる生活、日本より低めの湿度等が相まって、「光の都市」というのは本当だと改めて感じました。
⚫︎市場
スペインのどこにも市場はありますが、カディスの市場は19世紀前半に「スペインで初めての屋根付きの市場」として作られました。マドリッドでは市場はスーパーマーケットに押されつつありますが、カディスの市場はまだまだ健在です。海に面した都市だけあって、新鮮な魚介類が沢山取り扱われています。
⚫︎フェニキア人
海上交易をしたこと、アルファベットを作り出したことでで有名なフェニキア人。実は、彼らが”Gades”と呼んでいた交易地はこのカディスでした。その後、ギリシャ人によってフェニキア人はこの地から駆逐されてしまいますが、ギリシャ人は「地中海世界=世界」と思っていたので、その前にこのような広い世界観をフェニキア人が持っていたことは驚くに値します。
⚫︎交易の中心地
フェニキア人の流れから想像できるかと思いますが、カディスは交易の中心地として非常に重要な都市でもありました。その後、コロンブスの第二回目の航海船がこのカディス発だったことも、決して単なる偶然ではありません。18世紀、カディスは交易の重要な拠点として発展。交易の都市として多くの物資の交流が行われた場所です。香辛料や絹がもたらされ、ここを経由してヨーロッパの多くの地域に広がりました。
⚫︎ナポレオンの進軍
ナポレオンがスペインを攻略し、支配下に入れたのは1804年。スペイン人の抵抗にも関わらず、カディス以外のスペイン全土がナポレオンの支配下に入りました。では、どうしてカディスは支配されずにすんだのでしょうか?それは、カディスの地理的・戦略的な特色(海に囲まれていること、大西洋に面した浜辺の二箇所に既に要塞が作られていたこと、他の場所には城壁が構築されたこと等)に加え、大西洋の強い風が当時の爆弾の火を全て消してしまったこと等が理由にあげられるそうです。実際、ナポレオン戦争中にカディスに向けられた爆弾の数は15,521発、そのうちカディス市内に落ちた爆弾は584発ですが、全て不発に終わってしまったとか。
⚫︎1812年憲法
カディスでは、ナポレオン戦争の最中の1812年に、スペイン初の憲法が発布されました。聖ヨセフを意味する「サン・ホセの日」に採択された為、この憲法は「ホセ」の相性である”Pepe”の女性形を用い、通称”Pepa”と呼ばれています。この憲法は、当時フランスから押し付けられた「バイヨンヌ憲法」に対する形で作られたもので、当時としては画期的な多くの考えが含まれています。代表的な一例は 「国民主権」「言論の自由」や「男子普通選挙制」です。当時の大日本帝國憲法も主権は君主にあったことを考えると、時代を先行する考えを盛り込んでいたと言えるでしょう。
その他にも注目すべき部分は「魔女裁判(inquisición)の廃止」です。当時の元老院の3分の1が聖職者だったことを考えると、この動きは画期的なものと言えます。(ちなみに、その後国王フェルナンド7世がこの魔女裁判を復活させるという愚行を犯してしまいます。。。)
さらに、当初の憲法には何と「奴隷制の廃止」という考えも含まれていましたが、これは当時の市民によって削除されました。なぜなら、スペインの「奴隷制」とは、米国のそれとは異なり、黒人にかなりの自由を与えたものだった為、黒人も含めそこまで必要性を感じなかったからなのです。(例えば、由緒正しい家のお坊っちゃまのお世話に入った黒人女性は、そのお坊っちゃまが成人すると自由の身になれたとか。)
スペインの歴史では重要な位置を占める1812年憲法。100周年の1912年には多くの石碑が作られ、200周年の2012年には、国王がカディスを訪問してこの出来事を祝いました。
今回はこの1812年憲法の内容が議論され、署名された場所である国民議会の建物(現在では色々な祭壇が周囲に作られており、「祈りの場所」を意味する”Oratorio”と呼ばれています)にも行ってきました。そこには、美しい祭壇や石像の他、ムリーリョが1680年代に描いた聖母像も飾られています。ムリーリョは聖母像の画家として非常によく知られており、彼の作品はプラド美術館の常設展でも展示されています。彼の描いた聖母像は25枚ありますが、そのうち天使が聖母の上にいる絵は2枚のみ。この2枚のうちの1つがカディスにあるということを聞き、さらにありがたく鑑賞しました。
思った以上に見所の多いカディス。さらに、海の青さや光も相まって、本当に気持ちの良い場所でした。
アンダルシアと言うと、コルドバ、グラナダ、セビーリャ等が有名ですが、カディスも非常にお薦めです。