Haruki's way

〜スペイン・この不可思議な国〜

別れの季節

Retiro公園の中のPalacio de Cristal

Retiro公園の中のPalacio de Cristal

マドリッドでも、晩秋はちょっと物悲しさが漂う季節。今年は、この季節に色々な人との別れがありました。

最初は、夫の母方の親戚の女性。かなり遠い血縁関係ですが、私の義母は小さな村の出身なので、遠い親戚の人ともよく顔を合わせていたようです。彼女も同じ村に住んでいたので、ずっと行き来し合う親しい仲だったと言います。

私達もこの人とは何度も会ったことがあり、私と夫がマドリッドに来た直後には、彼女のお家(と言っても誰も住んでいませんでした)に1ヶ月程滞在しました。温もりのあるお家で、スペインに住んで間もない頃の私にとっては、ここが唯一くつろげる場所だったと言っても過言ではありません。

昨年に癌と診断され、沢山の治療も空しく今年の10月に亡くなりました。義母はお葬式に参加したかったのですが、スペイン国外に住んでいると昨日の今日でお葬式の為にフライトを取るのも難しく、代理として私と義弟で参加してきました。やはり人との別れは悲しく、気丈に明るく振舞って弔問客に笑顔を見せている家族に、ますます胸が詰まる思いでした。

秋の青空。真っ青ですっとして、でもちょっと物悲しい青。

秋の青空。真っ青ですっとして、でもちょっと物悲しい青。

もう一人は、友人のお母さんです。この友人と私達は非常に親しくしていて、実は8月のタンザニア旅行も一緒に行くはずでした。ところが、直前にお母さんの病気が分かり、しかも余命3ヶ月程度といわれた為、残念ながら彼らは旅行をキャンセルしてお母さんと一緒の時間を過ごしたという経緯がありました。

とても優しくて朗らかな女性でした。去年の秋に私たちが友人の結婚式でアンダルシアに行った際、お昼を一緒にいただきながら楽しくお話したことが思い出されます。あっという間のことで、家族はどれほど辛いことか・・・と思わずにはいられませんでした。

秋の王宮。

秋の王宮。

不謹慎かも知れないと思いながらも、今回知人の死を通じ、スペインと日本では死者に対する考え方、死の受け止め方が大きく違うことを感じました。

例えば、スペインではお葬式で皆が黒い服を着るというわけではないこと。遺族の服は決して派手ではないものの、全員真っ黒ということはありませんでした。最初のお葬式では、一人の娘さんは茶色のチェックの服、もう一人はグレーのスーツ、もう一人はベージュのブラウスに茶色のスカート。バッグは茶色やらオレンジやら、かなりカラフルな感じです。また、お葬式に参加した人達の中には、水色や黄緑の服の人も・・・。これには本当にびっくりしました。これを後で他のスペイン人に話したら、「真っ黒はわざとらしくて、皆最近はそこまでしたがらないのよ。」と言っていました。でも、ピンクや水色というのは行き過ぎだとも言っていました。こんなスペインですが、数十年前は、夫がなくなると妻は1年間は黒い服を着続けたとか。この変わり方にはびっくりです。

また、日本のお葬式では、遺族はただただ辛そうな感じですよね。妙に元気そうなのもいけないのかも知れませんが、周りも辛そうな遺族を見て涙するというのが一般的だと思います。ところが、スペインでは遺族が周りを盛り立てようと色々話します。せっかく来てくれた人達に感謝したいから、皆に笑顔を向けて一緒の時間を悲しみだけで終わらせないように・・・という気遣いなわけです。(それがまた悲しかったりもするのですが。)

カスティーリャ地方の夕暮れ。

カスティーリャ地方の夕暮れ。

どっちが良い悪いという訳ではありませんが、辛い時にも弔問客に感謝して笑顔を見せようとする彼らの態度に、何か人としての強さのようなものを感じました。同時に、自分が日本で持っていた「人が亡くなった時には悲しくしてなければいけない」という考えが、どこでも通じるものではないんだな、と改めて実感しました。

また、これが特に大きな違いかも知れませんが、日本では死者への供養はお墓参りですが、スペインでは死者を考えることが一番の供養です。従って、ほとんどのスペイン人はまめにお墓参りには行きません。

そういえば、夫のおばあちゃんは非常に信仰心に厚い人ですが、旦那さんが亡くなった時、神父様に「このお墓には旦那さんはいません。天国に行く前の姿が残るだけです。旦那さんではありません。」と言われ、以来10年くらい一度もお墓には行っていません。

この違いについて聞いた所、数人の知り合いは、「人が亡くなるとその人は自分の近くにいてくれるのであって、お墓に居続けるものではないから、特に行く必要はないんだよ。」と言っていました。その人のことを思い出し、感謝し、お祈りすることが大事であって、お墓に行くことは二次的だとも言っていました。

それに比べ、日本ではお墓参りに行くことがその人を供養することですし、死後も遺族の体のある所に行くことを重要視する文化なんだと思います。日本人は、例えば自分の家族が亡くなった時、その人が生きてきたという物質的な拠り所が必要なのかも知れませんね。(よく昔話に出て来る「供養しないと祟りが・・・」っていうのは、そもそもスペイン人は思いつかないような話かしら。)

Retiro公園の噴水。

Retiro公園の噴水。

そういえば、昔読んだ日航機墜落事故に関する本にも、日本人は何としてでも遺族の体の一部を探し出そうとするけれど、アメリカ人の遺族は、「亡くなったなら、そのままにしておいて結構です。」と言ったと書いてありました。これがキリスト教徒と仏教徒の文化の違いなのかは分かりませんが。

そして、キリスト教でも、日本のキリスト教とスペインのキリスト教では、やはり文化の違いから来る影響も大きいと思います。私はキリスト教徒ですが、日本の教会でも三回忌、七回忌といったことをしましたし、お墓参りに行かないことは悪いことのように言われたこともありますし・・・。

私はこの通りスペインに住んでいるので、母のお墓参りも思うようにできません。それでも、帰国する度にお墓参りをするようにしています。その理由は、やはり「そこに母の一部がある」と感じる日本人の自分がいるから。それが帰国の時の「儀式」のようになっているから。そして、何よりも大きな理由は、それをすると喜ぶ父がいるからです。でも、今では母はいつも私と一緒にいると感じています。

スペインに住んで大分時間が経ったからかも知れませんが、最近では、お墓参りしながら相手を思い出して嘆くよりは、亡くなった人のことをいつも思い出して、感謝しながら心穏やかに過ごすことの方が心に良いことで、同時にもっと難しいことだなぁ・・・と感じます。

今回亡くなった二人の方をまた心に留め、こういう素敵な人達と自分の人生が交錯したことの偶然・幸せにいつも感謝し続けられるように。今はただただそう願っています。
遺族の悲しみが一日でも早く和らぎますように。

Tagged as: ,

Leave a Response