Haruki's way

〜スペイン・この不可思議な国〜

「心配する」という言葉

トレドのある修道院にある中庭。中央に見えるのは井戸です。

トレドのある修道院にある中庭。中央に見えるのは井戸です。

「心配」とは何か。大辞林によれば以下の通り。

  1.  何か起きはしないかと、気にかけること。不安がること。気がかり。「-な空模様」「-の種が尽きない」「-事」
  2. 心を配って骨を折ること。いろいろと世話をすること。「いろいろと御-いただきまして」「資金を-してやる」

よく、日本では「いつもご心配下さりありがとうございます」と言いますし、付き合い等では「いつも心配してくれているから、挨拶の一つでも・・・」と言いますよね。でも、私はこの意味での「心配する」という言葉があまり好きではありません。そして、この何とも言えない違和感はスペインに来てからさらに増幅した気がします。それは、1の意味であれば、多くの場合この「心配してくれている」「心配してあげている」はネガティブなものだからです。「あの人は大丈夫かしら・・・」「きっと苦労しているのね・・・」「きっとうまくいかないに違いない・・・」なんて思われてもあまり嬉しくないわけです。

親に心配されるよりは、親に私の幸せを願ってほしい。この子なら大丈夫と思っていてほしい。これは、私自身「親を心配するよりは親のイキイキしている様子を知りたい。親が何か苦労していたら解決する手伝いをしてもいい。でも、無条件に心配するのは不健康。」と考えるようになったからかも知れません。

2の意味であれば、相手のことを考え、心を配るのは素敵なことです。でも、会話で出てくる「心配」には、「心配してもらったから・・・しなければ」「心配してあげたのに」「あなたのことを心配しているからこそ・・・」と、半分強制めいたものがあるのは気のせいでしょうか。特に、「いつも心配しているのに・・・」には見返りを期待しているような嫌らしさが見え隠れする気がするんです。さらに言えば、ほとんどの場合、「いつも心配している」には行動が伴いません。(だからこそ、特に何もしてもらっていなくても、「いつもご心配いただきましてありがとうございます。」と言えるのでしょうけど。)この実体のない「心配」に礼儀で応える、義務をくっつける、それが日本社会に深く組み込まれているのに気づけば気づくほど、どうしようもなくこの言葉が重苦しく感じられるのです。

私の修士の友人の言葉で、今でもはっきり覚えているものがあります。

「皆問題がない時は親切なのよ。でも、人は聞こえの良いことは何だって言える。私は人の言葉より行動を信じる。」

彼女は小さい頃は召使いを雇って豪邸に住むという裕福な生活を送っていましたが、10歳の時に両親が離婚。母親と一緒に住み始めたものの、母親は夫に捨てられてノイローゼになり何もできない状態に。親戚も手を翻したように冷たくなり、父親に母親の状況を説明しても「それは演技だ。」と取り合ってもらえず、最終的には彼女が弟二人の世話をしつつ勉強を頑張って成長し、チリで一番の大学に入学。弁護士試験に合格し、現在は弁護士として働いています。このような境遇で育った彼女の言葉には、本当の重みがありました。

翻って「心配」という言葉に目を移すと、やはり行動が足りないのです。だからでしょうか?「○○さんはHarukiのことを心配しているんだから、電話の一本位いれてあげなさい。」と言われても、「それなら私にメール1通でも送ってくれればいいのに。」といくらか冷めた目で見てしまうのです。そういう儀礼上の心配は欲しくないんです。

アンダルシアの花々

アンダルシアの花々

アメリカにいた頃、相手を気遣う言葉はいつも”I’m thinking of you.”でした。「あなたのことを考えているよ。」という言葉だけで何の恩着せがましさもありません。”I’m worried about you.”は相手が何か困った問題に直面している、相手にがっかりさせられた時以外には通常使いません。そこから既にアメリカはポジティブな国だと感じたものです。スペインでは、相手を気遣うには”Pienso en ti.”で、これも英語の場合と同じ「あなたのことを考えているよ。」になります。”I’m worried about you.”にあたる”Estoy preocupado/a por ti.”は、心配することに対して使うことはあっても、人に対しては余程がっかりすることがない限りは使いません。特定の心配事がない限りは、できるだけ「あなたのことを考えている」を選びたいものです。

日本語の「心配する」のネガティブな響きを感じた方には、とても気にかかることがある時以外、この言葉を封印することをお勧めしたいと思います。本当にどうしても使いたい場合は具体的な理由がある場合に絞り、さらに行動をおこした人のみ使うというのはどうでしょうか。

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