Haruki's way

〜スペイン・この不可思議な国〜

永眠

6月19日、義父が永眠しました。

レティーロ公園にある天使の像。

振り返るとあっという間の闘病生活でしたが、その間に色々な苦しい治療を試し、あらゆる治療の副作用にもかかわらず、文句も言わずに前を見続けていた義父を思い出します。

義父の名前はフランシスコ、スペイン語での相性は「パコ」ですが、時々義父のことを思い出して「パコ」とつぶやくと、その名前で呼ぶ相手がいなくなったことを改めて実感し、なんとも言えない悲しみに襲われて胸が痛みます。

「故人を偲び、故人との思い出を大切にすることが、私たちができる故人への最大の愛情表現だ。」と、何人かの人から言われました。
その通りだと思いますが、まだ闘病生活で辛い思いをしていた義父の記憶が鮮明なので、本当に苦しかったね、という悲しい気持ちが先立ってしまいます。
こればかりは時間が解決するのを待たなければいけないようです。

義父は最期の3週間を病院で過ごしました。
夫と私は仕事が終わると頻繁に病院にお見舞いに行きましたが、子供たちは入院の間に義父と会うことは一度もありませんでした。
まだ小さい子供達なので、わざわざ重い病気の義父の姿を見せるのは酷だろうし、子供たちは病院でじっとしていられないだろうからとの判断で、あえて病院に子供たちを連れて行くことは避けた訳ですが、子供たちには、「病気だけどそれなりに元気に見えたおじいちゃんが、ある日突然天国へ言ってしまった」という印象を与えたようです。

6歳のかおりは、おじいちゃんが亡くなったということを受け入れたようで、「見えないけれど、いつでも皆と一緒にいるんだよね。」と言います。
義母が涙を流すたびに、ささっと義母に近づいて抱きしめてあげるので、それが義母にとっても慰めになるようです。
(そして、義母は毎日何回も泣いているので、慰めるのも板についてきたようです。)

4歳の健斗は、まだ死をそこまでは理解していないようです。
おじいちゃんが天国に行ったという話をしたところ、「飛行機で行ったの?」と聞いてきたため、もっと遠いところだと言うと、「ロケットで行ったの?トイレはあるの?」と、いかにも健斗らしい答えが返ってきました。
最近は、お月様を見ると、「おじいちゃんはあそこにいるの?」と聞いてくるようになりました。

義父が亡くなる直前、友人が、「子供にとってもおじいちゃんの死は辛いものだから、死を自然に受け入れる為の本を読んであげたらどう?」と行って、一冊の本を勧めてくれました。
まだ日本語には訳されていませんが、カミーノ・ガルシア・カイェハ(Camino García Calleja)著「いつまでも(Para Siempre)」というタイトルの本です。
この本のベースはモンテッソーリ教育で、子供達にとって理解しやすいように、身近なものを題材として説明した後、抽象的な内容へと進んでいく形をとっています。
素敵な絵と共に、子供の視点から死についての色々な経験や考えが書かれており、最後にまとめのような形で、死に対する色々な人の考えや気持ちにも触れられています。

本の表紙。

子供達に読んであげる為に買った本ですが、読んでいくうちに、様々な感情で胸がいっぱいになり、読み進めるのが難しくなる瞬間が何度かありました。
子供にとって、ペットや生き物の死は身近なところにあるけれど、人間の死は「神秘的なもの」に包まれていること、誰かが死ぬと周りの人が悲しみとも哀れみともつかない表情で見つめてくること・・・。
私たちにも覚えがある、そういった経験が子供の視点で淡々と書かれています。

読んでいくうちに、私たち大人が身近な人の死を受け入れられないでいるために、子供に本当のことを全て話せないのかも知れない・・・という気持ちになりました。
長女が比較的すんなり義父の死を受け入れたこともあり、子供にはまだ読み聞かせていません。
それでも、自分のためだけにでも買って良かったと思います。

アヴィラにて。

親しい友人が、「私たちが故人を偲んで泣く時、それは故人の為の涙ではなく、故人がいなくなって悲しい自分の為のエゴの涙なんだよ。」と言っていました。
厳しいけれど、その通りだと思います。
少しずつ、義父の苦しい思い出が薄れ、あの逞しく熱血漢で、歌の上手だった父の姿を笑顔で思い出せる日が訪れますように。

Te quiero mucho, Paco.

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