Haruki's way

〜スペイン・この不可思議な国〜

Todos íbamos en ese tren

アトーチャ駅にあるテロ犠牲者の追悼の塔内部

アトーチャ駅にあるテロ犠牲者の追悼の塔内部

“Todos íbamos en ese tren (皆あの電車に乗っていたかも知れない).”
このスローガンを目にした人もいるかも知れません。

私の誕生日でもある3月11日は、マドリッドでは非常に大切な日です。既に何度か話したと思いますが、この日はマドリッドのアトーチャ駅 (Atocha)近郊で爆弾テロがあった日なのです。2004年3月11日に起きたこのテロで、1800人が負傷、191人が亡くなりました。私の家はこのアトーチャ駅から目と鼻の先ですし、誕生日と同じということもあり、今年は少し時間を取ってアトーチャ駅にも行ってきました。

この爆弾テロは朝の通勤時間帯を狙ったもので、4つの電車で7時半過ぎに爆発が発生。当初はいくつかの爆弾がアトーチャ駅で爆発するように電車に仕掛けられていたそうですが、ほとんどの爆発は駅の中ではなく、駅に向かう電車の中で起きました。私は2004年にはまだスペインにいませんでしたが、これだけ身近な場所にいると、この出来事を意識する瞬間が数多くあります。

例えば、アトーチャ駅に到着する直前に(500m手前で)爆発した電車は、テイェス通り(Calle Téllez)に面する場所で止まりましたが、この通りは我が家のある通りから一本線路側に入った所にあり、まさに目と鼻の先です。また、最初の爆発で既に180人に近い死者が出た現場では、救急活動用のテントが張られましたが、このテントが張られた場所は市営のダオイス・イ・ベラルデ・スポーツセンター(Polideportivo Daoiz y Velarde)。私たちも、週末に時々プールやバスケットコートを利用する身近なスポーツ施設です。

他にも、マドリッドの中心街のソル(Sol)には、市庁舎(Puerta del Sol)の壁に大理石の板があり、そこにはテロの起きた日に怪我人を運ぶ為に無償で活躍したタクシー運転手への感謝の言葉が綴られています。(こういう非常時に、仕事のルールに縛られずに人助けを優先させた運転手の人達に、人としての温かみを感じました。日本では果たして同じことができるでしょうか?)

私がよく散歩に行くレティーロ公園(El Retiro)には、犠牲者191人の死を悼み、191本のオリーブの木が植えてあるそうです。(実は、Retiroは広すぎて、未だにどこに何があるのか把握しきれていません・・・。)最後の犠牲者の一人は、生まれる48時間前に母親の胎内でテロに遭い、5月10日に亡くなった赤ちゃんだそうです。こういう話を聞くと、両親の気持ちはいかばかりだっただろうと思わずにはいられません。

マドリッドで行われたテロ反対のデモ。通りを傘が埋め尽くしました。

マドリッドで行われたテロ反対のデモ。通りを傘が埋め尽くしました。

マドリッドに住む私の贔屓目かも知れませんが、このテロに対するマドリッド市民の反応は感動に値すると思います。テロ直後の人々の助け合いもそうですが、次の日のデモ(スペイン語ではmanifestación)には目を見張るものがありました。マドリッド市民400万人のうち、推定230万人が雨の中デモに参加し、デモを行うはずの通りだけでは収まらず、近くの通りを全て埋め尽くしての大規模なデモに発展。このデモはスペイン王室の人間が参加したことでも知られています。(日本の皇族では、なかなかこうは行かなかったでしょう。)このデモで皆が言ったスローガンの一つが、上の”Todos íbamos en ese tren (皆あの電車に乗っていたかも知れない).”です。皆の連帯感のようなものを感じる言葉です。

マドリッドに来てから良いことや嫌なことを色々経験しましたが、こういう時の人の人情深さや優しさを感じると、スペインは良い国だなと改めて思えてきます。そして、規模の違いから来るものかも知れませんが、東京では感じなかったマドリッド「市民」の連帯感のようなものを改めて感じます。

誕生日に行ったアトーチャ駅。駅の中にテロの犠牲者の為にお祈りする為のスペースがあるのですが、この日は沢山の人達が来ていました。青い色の部屋の天井に、外まで吹き抜けるような形でガラスの塔があり、その中に色々な国の言葉でメッセージが書かれています。椅子に肩を寄せて腰掛けている老夫婦、花束を置いて行く人、皆の残したメッセージを読む人達・・・皆の思いは様々です。メッセージの一部は、遺族が亡くなった家族に向けて書いたものでした。「○○、あなたが天国に行ってからもう6年になります。私たちは、未だに突然消えたあなたがここにいないということを受け入れられません。」と書いてあるもの、「○○、あなたは私たちの希望でした。あなたのような息子を持てて誇りに思います。」と書いてあるもの等、読んでいて本当に胸を打たれました。

犠牲者追悼の場は、駅の隅にひっそりとあります。

犠牲者追悼の場は、駅の隅にひっそりとあります。

内部の様子。

内部の様子。

追悼。

追悼。

ちょっとしんみりしてしまいましたが・・・自分の誕生日をお祝いするだけでなく、こういう人達に心を留める機会ができたのは良いことかもしれない、と思いながら駅を後にしました。

ちなみに、マドリッド市民から提供された追悼の品々を管理している科学調査センター(Centro Superior de Investigaciones Científicas)では、マドリッドとニューヨークのテロでの大きな違いについて、「ニューヨークでは、テロ後の反応が”Patriotism”や国旗等の愛国心高揚を促すものが主であったのに対し、マドリッドでは”Peace”や希望を表す言葉が一番よく見られた。」と述べています。

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2 Comments

  1. もう6年も経ったのですね・・・私、マラガで丁度妊娠中でした。
    信じられない気持ちで、テレビを呆然と見ていました。
    Manifestaciónも覚えています。雨の中をPrincipeやZapateroが先頭に歩いていた映像が今でも目に浮かびます。単なる愛国心ではなく、国民を(人を)愛するスペイン人の温かさを感じました。
    Harukiさん、思い出させてくださってありがとうございます。

    • MIGUさん

      NYとマドリッドでのテロの反応の違いというのを読んで、MIGUさんのおっしゃる通り、「単なる愛国心ではなく、人を愛するスペイン人の温かさ」を私も感じました。
      私はテロが起きた頃はまだスペイン行きを考えていませんでしたから、今になっての感慨になるわけですが、既にスペインにいらっしゃったMIGUさんにとっては本当に大きな出来事だったと思います。

      マドリッド以外の地域でも多くの場所でデモが起きたということですし、こういう時のスペイン人の温かさを目にすると、スペインに住んでいて良かったと思います。

      こういう形で犠牲者を忘れないことが、私たちができることの一つなんでしょうね。