Haruki's way

〜スペイン・この不可思議な国〜

ヴァレンタインと愛について

Avilaの小高い丘にある遺跡Cuatro Postes。Avilaについては今度の日記で。

Avilaの小高い丘にある遺跡Cuatro Postes。Avilaについては今度の日記で。

いつも読んでいるメルマガの1つで、ヴァレンタインの前ということで「愛」について書かれたものがありました。タイムリーな内容で、含蓄のある言葉だったので、ちょっと長いですがご紹介します。

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男女の愛でも、子供との愛でも
友人との間にある友情という愛情でも
すべての愛は「関係性」を意味しています。

人と人の間にある愛は、人間関係そのものを表しているわけです。

あなたがどんな人間関係を展開しているのかが
あなたの「愛」の在り方をみていくと、わかります。

ですから、たとえそれが男女の愛であっても
人間関係ですから、特別なものではありません。

そうです。

愛についての問いは、
愛せるかどうか?であり、
愛されているかどうか?ではありません。

誰かから愛されたい、愛されたいと思っている人は
他者からみると、けっこう重たい存在です(笑)

しかし
自然に人を愛してしまう人は、
他者からみると、近づきたい存在なんですね♪

愛されたいのに、愛してくれる人がいない
と、思っている人と

愛しているけど、愛を受け取ってもらえない
と、思っている人は
背中あわせで、同じ類の人なのです。

愛しているけど、受け取ってもらえないというほうが
聞こえはよいのですが、受け取れない人に固執しているわけですから
相手にとっては、重たい存在となります。

たとえば、
「こんなに愛しているのに、どうしてわかってくれないの?」
と、言うセリフがありますが、相手がわかろうとそうでなかろうと
このような言葉を吐いてしまうときは、
相手のことではなく、自分向きの憐憫の情をもっているのです。

何であれ、自己憐憫に陥っている人ほど
他者に重たいと感じさせるのも事実です。
自己憐憫は、自分に向けられたネガティブなエネルギーですから
エネルギーの停滞をおこす原因となります。

あなたのエネルギーの停滞は、あなたのチャクラの回転数を
落とします。

つまり、平たく言うと、元気がない状態になるわけですね。

この元気がない状態になると、周囲の人たちから自動的にエネルギーを吸い取り始めるようになります。

たとえば、グループの中に、一人だけ暗い顔をしている人がいると
グループ全体が、喜びや楽しさのボルテージを下げなければならなくなったり
その、エネルギーの落ちた人を元気づけるために
グループのほかの人たちは
自分たちのエネルギーをボルテージの低い人に対して
費やさなければならなくなりますので、

結果的に、一人暗い気持ちでいる人のところに、
他の人たちの注目が集まります。

これはコントロールドラマと呼ばれる一種のコントロールなんです。

人は、成功した人だけでなく、失敗した人にも注目を向けるものです。
奇異なことをしたときにも浴びますし、
同情が発生するようなときにも浴びるわけですが、

一番は、元気をなくした状態で
自己表現を止めてしまう、黙りこくってしまう
「わからない」を連発したり、わかっていないのに「はい」と
素直な振りをするなど
「自己表現をしない人」
「自分の考え隠す人」は、
一緒にいる人たちのエネルギーやボルテージを落としてしまいます。

そして、自分が他者のエネルギーやボルテージを落としたことに
罪悪感を感じると
又、元気をなくし、更に周囲の人たちのエネルギーを奪うことになり
この連鎖に気づくと
自分の感情を隠し始めて、大丈夫な振りをはじめます。

これは、
愛するとか、愛されるとか云々する以前の問題なわけです。

感情を隠して、静かにしていれば、
人畜無害な人と思われるはず。

そう、思っていても
実際に「自己表現」をしなければ、
あなたは、他者から自動的にエネルギーを奪っていると
みることもできるのです。
そして、感情を隠している人ほど、相手への思いが
粘着質に変わって行くのです。

「自己表現しない」、「自己表現できない」だけで
愛しあう可能性がどこかに行ってしまうと言ってもいいくらいなんですね。

それほど
感情を表し、自己表現することは大切なのです。

感情を表すというと
すぐに、感情を爆発させるとか人にぶつけてみることと
思う人もいますが
実際は、そのようなことをすると人間関係は壊れますから
感情を表す、適切でぴったりした言葉を探すことが大切です。

シャイなあなた!
そのシャイさを謙虚さや奥ゆかしさだと誤解していると
愛されるチャンスを逃してしまうばかりか
愛していることさえも、相手に伝わっていないかもしれません。

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郵便ポストがライオンの顔になっていました。

郵便ポストがライオンの顔になっていました。

これって、まさにスペインに来て2年位経つまでの私のことなんですよね。周りの人には、「自己表現するタイプ」「オープンで誰とも話すタイプ」と思われていた私ですが、実は辛い時に辛いと言うことに全く慣れていませんでした。いつも周りの人の相談役になることが多く、頼られることで充足感のようなものを感じていましたし、それが自分の役割のように捉えていました。

スペイン生活で紆余曲折を経て今思うのは、やはり「感情表現」は大事ですが、本当の自分の心の奥の奥にある感情を表現してこその「感情表現」だということです。皆と仲良く話せれば良い、というほど簡単ではないのでしょう。

そして、これは私の育った家庭でもそうでしたが、日本社会の根底には「相手に迷惑をかけることは避けなければいけない」という考えが非常に大きな部分を占めていると思います。スペイン人の勝手な態度や大らかすぎる部分にはついつい戸惑う私ですが、日本人は相手の迷惑になることを避けるあまり、感情表現に支障が出て来るケースが多いと最近よく思います。

清々しい青い空とAvilaの城壁

清々しい青い空とAvilaの城壁

「迷惑をかけてはいけない。」というブレーキから、「思い切ってお願いをする。無理なら無理でOK。」に、「お願いするのは気がひける。」から、「何かをしてもらったら感謝の心を持つ。」に、日々さらにシフトして行きたいと思います。個人的には、最初はお願いするのにちょっと勇気が要りましたが、繰り返して行くうちに、自分の行動から不要なブレーキが取れ、自分らしく生きているという感じがしてきました。同時に、自分も好意から何かするという機会がさらに増えてきたような気がします。

そういえば、スペインに来てビザの申請で初めて警察署に並んだ際、色々な人に「ボールペン貸して。」と言われました。その頃の私は、一応その人たちに貸したものの、「知らない人によくいきなり頼むなぁ…。」「そもそもこういう場所にボールペンも持って来ていないなんて、準備が足らんなぁ。」とちょっと思い、さらにそういう人たちがマイボールペンを噛もうものなら、むかっ腹が立って仕方なかったのです(笑)

が、数年経つと、郵便局等で同じことをしている自分が!(ペンを噛むのはしません!)今は、ボールペンなんて減るものでもないし、人はお互いそういう場所で助け合うべきだと思ってしまうから不思議です。そういえば、一度日本に帰国して公衆電話で電話をしている時に、思い切って近くの女性からボールペンを借りたことがありました。貸してくれた方はどう思ったかな??

さて、最初に書いてあった「愛せるかどうか」というお題について。
まずは、自分をいたわり、感情を表に表して心に栄養を与え、自分らしくいることが先決だと思います。色々なものに縛られていて自分に満足できないから、周りの人からケアされることを望むようになってしまうんだと(自戒を込めて)私は思います。ならば、本当に自分が好きなことをして、自分が愛情を注ぎたいと思う相手と時間を使い、日々に感謝しながら生きて行きたいものです。

バレンタインと言うと、どうしても恋人や夫婦の愛に重点が置かれますが、改めて、自分は友人や恋人を愛しているのか、それとも愛されることを要求しているのか考えてみる良い機会だと思いました。

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6 Comments

  1. 確かに私のはるきちゃんのイメージって、
    明るくて優しくて誰とでもオープンに付き合うけれど、
    自分のネガティブなことは人には喋らない、
    というイメージだな。
    だからはるきちゃんって実は傷つきやすい人だなって
    ずっと思ってました。

    スペインがはるきちゃんを強くしているんだなぁ。
    本当に優しい人は、強い人なんだよね。

    ところでVilleroy&Boch、私も大好き!
    こっちでも結構高いんだけど、少しずつ買ってるよ。
    テーブルコーディネートもからっと明るくて
    スペインっぽいね。
    これは参考にするわ!

    • Megumiちゃん

      >自分のネガティブなことは人には喋らない、
      >というイメージだな。

      確かに、今でもネガティブなことはあまりしゃべらないかも。
      自分の大切な人と時間を共有している時は、相手にネガティブ攻撃をしたくない(その時には忘れていることも?!)、というのと、まだ自分の中で揺れている時には話さない方が良いと思うことの2つが理由かな。
      傷つきやすくもあり、妙に距離を置く部分もあったと思うよ。

      >スペインがはるきちゃんを強くしているんだなぁ。
      >本当に優しい人は、強い人なんだよね。

      確かに、スペインに来て強くなったと思うよ(笑)
      そして、傷つく部分が減ったから、人との距離が縮まったというのもあるかも知れない。

      私の中では、「人の気持ちに敏感な人、人に優しくできる人は、そういう部分で辛い経験をした人」というtheoryがあります。
      だから、本当に強い人に対しては自然に尊敬と共感が生まれてくるものなんだと思います。

      Villeroy & BochはMegumiちゃんも好きなんだ!
      HPに出て来たあの組み合わせは義両親の家のものだけど、確かにルクセンブルグでこのポップなカラーはオリジナルかも知れないね。

  2. ある日 歩いていると 会うと挨拶はするけど
    名前もどこに住んでるかも知らない人が 初めて話しかけてきたの。
    「その袋 どこで手にいれたの?」
    わたしの持っているエコバッグ。 フンタ・デ・アンダルシア の マークの入ったもの。
    うちの夫が仕事場でもらって来たのだというと
    「いいわね。
    最近ほら 袋 有料になったから
    そういうのほしいの。
    だんなさんに ふたつ ほしいって 言ってね。
    妹のぶんも あるから。 じゃ アディオス」

    このおおらかさ。 
    でも おかげで うちは 三人のこどもたちの洋服
    みなさんが お古をくださる。
    お古といっても 最近は 少子化で 大切にしてるお子様のおさがりだから
    新品。 日本だったら 親しくないと お古なんてなかなか あげたりもらったりって
    ないですよね。

    こういうのも 愛かな?

    • Cazorlaさん

      ええ、これはもう愛だと思います(笑)
      日本だったら、そんなこと言ったら「厚かましい!」って思われちゃいますよね。
      また、プレゼントも「押し付けになったらいけないから・・・」なんて妙に躊躇してしまうと思います。
      でも、スペインでは皆が自分の思ったことをもっとさらっと言うので、きっと「厚かましい」と思う人はいないでしょうし、思ったら即行動なんでしょうね。

      もちろん、とても礼儀正しい人もいるので一般化はできませんが、私はこのあっけらかんとした「お願い」が結構好きだったりします。
      人と人とのつながりがもっと密で、「人とは助け合うもの」であることを再認識させてくれます。
      そして、気がつくと、頼まれても嫌なことには「嫌よ」と言える自分が(笑)

  3. 相手に迷惑をかけることは避けなければいけない,、という日本の環境、本当にそうですね。ここ一年以内に新聞で見た、”親が子供に求めるもの”の上位にも入っていたと思います。私がスペインを離れ、再び日本に住むようになって最初の1、2年、日本の社会になかなか適応できなかったのはそのせいかもしれません。とにかく、人間関係に気を使うというか、相手の本心がわからず、どう行動していいかわかりませんでした。
    もともと、私もHarukiさんと同じようなタイプだったのですが、スペイン人の寛容さに包まれ、喜怒哀楽のストレートな所に感化され、すっかり馴染んで伸び伸び暮らしていましたね。
    日本に来てからは、子供がいることもあって、外出する度気を使います。露骨に迷惑そうにする人も多いですし、心の中ではそれほどの迷惑でないと思っていても、「すみません」と繰り返しています。
    本当の迷惑というのは勿論避けた方がいいと思いますが、頼むという行為は決して迷惑ではないですよね。頼まれた人は頼られて嬉しいし、人の役に立ったと感じることは万人の喜びだと思うのです。自分のできる限りことを人にしてあげる、それも一つの愛かな・・・なんて。

    • やっぱりMIGUさんもそういうことを感じたんですね。
      そして、MIGUさんも「スペイン人の寛容さに包まれ」「すっかり馴染んで伸び伸び暮らして」いたとのこと、共通点がいろいろあって嬉しいです♪

      ちょっと最近の日本の雑誌(ESSE)が手に入って目を通していたんですが、「主婦のためのエレガントマナー教室」という記事の内容に唖然としてしまいました。
      「夫の両親との付き合い」という欄に、「母の日に花を贈ったら、花はいらないといわれ、次の年にエプロンを贈ったら、エプロンはいらないと言われました。本当に贈るのをやめてよいのでしょうか?」という質問があり、その答えが「ものだけを贈ってくると思われているのかもしれません。欧米では、プレゼントを贈る時にリボンの下に必ずカードをはさみます。日頃の感謝や、贈り物を選んだときの気持ちなどを表現して。」とあるんです。
      そもそも、「皆で一緒にいられるのが一番。」とかではなく、「ものはいらない。」と言う人に対して私はものはあげません。さらに、「欧米では・・・」と一般化して、カードをつければ良いと言うものでもないですよねぇ。
      あとは、夫の実家でお風呂を勧められた時、2回は断って、3回目は断ると失礼とか。
      相手に負担をかけない上手なお裾分けの仕方として、「食べきれないんですけれど、手伝っていただいてもよろしいですか?」とか、子供のお下がりをあげる時に、「捨てるのはもったいないので、使ってもらっていいですか?」などと疑問系にして、相手が余計な気を遣わないように・・・だそうです。

      こんなの、頭が混乱する〜〜〜〜!!
      相手に気を遣わせまいとする心配りの結果、皆が疲れてしまうような、そんな気がしました。

      >心の中ではそれほどの迷惑でないと思っていても、「すみません」と繰り返しています。

      あ、それ、私も日本でしていました(笑)これはもう潤滑剤ですよね。

      >自分のできる限りことを人にしてあげる、それも一つの愛かな・・・なんて。

      私も賛成です。
      人の親切の中にも、「あの人にはこれだけしてあげたのに、お礼の一つもない。」とか、「これだけ心配してあげたのに、それに対する感謝の態度が見られない。」といった部分が見えると、もうそれだけで重たくなってしまうんですよね。
      そういう重さを与えず、好意のみから出来る限りのことをしてあげるのって、本当に素晴らしいことだと思います。そして、そういう優しさを大事と捉えないで継続できることも大事ですよね。
      私も日々修行中です(^^)