Haruki's way

〜スペイン・この不可思議な国〜

アストルガ

私の夫はスペインの外で生活した期間が長いですが、子供時代から夏休みは祖母のいる村に行き、そこで同じく夏休みを過ごす子供達と毎年遊びました。彼らと私が会ったのは数える程ですが、その中の友人の一人のマリアは本当に素敵な人で、彼女とは何度か一緒に過ごし、何でも話せるような関係になりました。2006年に開かれた彼らのガリシアでの結婚式が昨日のようです。夫のフラン(“Fran”。Franciscoという名前の愛称。スペイン語での愛称は「パコ」か「フラン」が一般的です。)もとても芯のしっかりした優しい人で、最初からまだスペイン語に四苦八苦していた私と普通に接してくれ、それがとても嬉しかったのを思い出します。その彼らが、フランの仕事の関係でアストルガに移ったのが5年程前。彼らがマドリッドに来ることはあったものの、こちらがアストルガに行く機会がなかなかなく、そうしているうちに時間ばかり過ぎてしまいました。

アストルガの大聖堂と主教館。

アストルガの大聖堂と主教館。

アストルガは、スペインのカスティーヤ・イ・レオン州(Castilla y León)の中のレオン県に位置しています。カスティーヤ・イ・レオン州はマドリッドに隣接しているので近いと思いきや、その中でも一番遠いレオン州の中の州都レオンからもさらに西に行った場所にあり、高速電車で3時間半かかります。実際地図で見ると分かるかと思いますが、アストゥリアス州(Asturias)やガリシア州(Galicia)に隣接しています。ガリシアのアストゥリアスの料理は本当に思い出に残っていますし、ガリシアの中のサンティアゴ・デ・コンポステラルゴビゴラ・コルーニャ等は今でも思い出に残っています。

アストルガの場所。http://centros2.pntic.mec.es/cp.angel.gonzalez.alvarez/donde_estamos.htmより。

アストルガの場所。http://centros2.pntic.mec.es/cp.angel.gonzalez.alvarez/donde_estamos.htmより。

アストルガは、キリスト教徒の聖地である、ガリシアのサンティアゴ・デ・コンポステラ(Santiago de Compostela)へ行く巡礼の道(Camino de Santiago)の通過点であり、同時に「銀の道」の通過点でもあります。聖地巡礼と行ってもあまりピンと来ないかもしれませんが、キリスト教徒にとっての三大巡礼地として有名なのは、①エルサレム及び聖書に現れる聖地の数々、②ヴァチカン、そしてこの③サンティアゴ・デ・コンポステラなのです。中世から長い間、聖地巡礼により、キリスト教徒はそれまでの罪から解放されると考えられていた為、一生に一度は聖地巡礼をするというのがキリスト教徒の夢でもありました。

Camino de Santiagoのうちのいくつかのルート。www.gazingskyward.comより。

Camino de Santiagoのうちのいくつかのルート。www.gazingskyward.comより。

こう言った巡礼者をよく見かけました。

こう言った巡礼者をよく見かけました。

また、銀の道は古代に建設された古いルートで、ローマ時代にはイベリア半島の攻略にも守りにも重宝されました。その後、高速道路の建設で人工的に北はヒホン、南はセビリアまでルートが伸びたものの、本来のルートの始まりはアストルガ、終わりはメリダ(Mérida)なのです。

メリダのこのローマ時代の劇場はあまりにも有名です。夏にはオペラ等も開催されます。http://es.wikipedia.org/wiki/V%C3%ADa_de_la_Plata

メリダのこのローマ時代の劇場はあまりにも有名です。夏にはオペラ等も開催されます。http://es.wikipedia.org/wiki/V%C3%ADa_de_la_Plataより。

この道、「銀の道(Vía de la Plata)」と呼ばれるものの、特に銀の交易に使われたということはありません。ムスリム勢力がこの地を支配した頃、この道が”al-Balat (「舗装された道」という意味)”と呼ばれたことから、この音が後にAlbalat, Albalateという言葉としてスペイン語で使われるようになり、さらにそこから貴金属のようなイメージが連想されたと言われています。

銀の道。さらに長く示されているものもありますが、正式にはメリダまでで、セビリアまでは届きません。http://es.wikipedia.org/wiki/V%C3%ADa_de_la_Plataより。

銀の道。さらに長く示されているものもありますが、正式にはアストルガからメリダまでで、セビリアまでは届きません。http://es.wikipedia.org/wiki/V%C3%ADa_de_la_Plataより。

アストルガは、紀元前からローマ帝国の支配によって発展します。その後、ローマに抵抗する勢力がアストゥリアス地方を中心に発展したり、スエビ族(英語ではSuebi, スペイン語ではSuevo)の反乱が起きたりし、アストルガはそのローマ帝国における政治的な力を失い、8世紀に一時期ウマイヤ朝の将軍ターリク(Táriq)によってムスリム勢力配下に落ちますが、その後アストゥリアスの王によってキリスト教支配下に。11世紀には、サンティアゴの巡礼者が増えたことにより、この都市は発展し、病院を含む沢山の建物が建設されました。20世紀初頭には鉄道が走るようになり、そこから(なぜか?)チョコレート産業が発展、さらには食品産業全体のこの土地での発展につながります。スペイン内戦時代は、反乱軍(フランコ側)に属すことになります。(この辺りの、どちらに属するかというのは偶然的な要素も多分にありますが。)

この街の建築物で有名なのは、まずはローマ時代に建造された城壁。スペインの他の地方でもよく見られますが、アストルガの城壁も負けず劣らず立派なものでした。
次に有名なのは、やはり大聖堂です。この大聖堂の建築が最初に開始されたのは11世紀初め。その後、15世紀後半に大聖堂の拡張工事も始まります。それが終了したのが何と18世紀。このような理由から、この大聖堂には、ゴシック様式、ルネッサンス様式、バロック様式が混在しており、その聖堂正面の美しさは必見に値します。

カテドラルの正面口。とても立派でした。

カテドラルの正面口。とても立派でした。

子供達もカテドラル見物。

子供達もカテドラル見物。

最後に忘れていけないのは、バルセロナやマヨルカ島に様々な建築物を設計したことで知られる、アントニオ・ガウディ建築の主教館(Palacio Episcopal)です。

堂々とした主教館。

堂々とした主教館。

最初の主教館が火災で消失した為、当時の司教(バルセロナ出身)が長年の友人であるガウディに新しい建物の建築を依頼します。ところが、この主教館の施工が1889年に始まったものの、司教が1893年に死亡。建築途中にして、ガウディはこの建物の工事を放棄。その後、何人かの建築家が跡を継ぐもののうまく行かず、最終的にはリカルド・ガルシア・ゲレタ(Ricardo García Guereta)という建築家の指揮により、1913年に完成します。スペイン内戦中には、フランコの指揮下のファランへ等が要塞として使ったこともありました。その後、1963年より、「巡礼の博物館」として一般公開されています。花崗岩を使ったこの建物の美しい灰色に加え、窓や等のエレガントなデザイン、ガウディならではの独特の曲線等、遠くで見ても近くで見ても印象に残る建物でした。

ガウディのデザインとクラシックなトーンが合いまったような印象を受けました。

ガウディのデザインとクラシックなトーンが合いまったような印象を受けました。

この地に住む私達の友人マリアとフランには、二人の子供がいます。5歳のヒメナ(Jimena)と2歳のハイメ(Jaime)はとても可愛くて元気な子供達。実は、子供達は二人とも生まれつき耳が聞こえません。子供達の耳が聞こえるように特殊な装置を頭に埋め込む手術、その後の器具を使ったテスト等をする為、彼らは何度もマドリッドの専門病院に来ています。そんなこともあり、彼らはマドリッドに頻繁に来てくれるのですが、やはり病院での予定等でなかなかゆっくりと一緒に時間を取る事はできません。今回の休暇は、そういう予定をなくして思いっきり皆でゆっくりする良い機会となりました。

子供達も親達も嬉しそうです。

子供達も親達も嬉しそうです。

かおりとヒメナはとても仲良し。もちろん、ヒメナの方がお姉さんで色々なことができるので、時々かおりがすねてしまうことも・・・。健斗とハイメはまだ小さいので「仲良し」とまではいかないものの、とにかく走ったりボールを空中でキックしたりするハイメを見て、健斗にとっても良い刺激になったようです。ハイメは健斗より5ヶ月程上ですが、背は健斗の方が高く、食欲は健斗が(冗談抜きで)5倍勝るという感じでした。それでいて、ハイメの方が明らかに敏捷で水も怖がらない為、このギャップがとてもおかしかったです。

眠りこけそうになりながらも食べ続ける息子。本当に、この食べっぷりはすごいです。

眠りこけそうになりながらも食べ続ける息子。本当に、この食べっぷりはすごいです。

滞在中は、特別なことをするというよりは「子供と一緒に皆でゆっくりする」というプランだったので、皆でゆっくり朝食を取り、天気のよい時には近くの公立のプールに行って泳ぎ、友達とゆっくり話をするという生活をしました。いつものパン屋さんに行き、いつものお店で食料品を買い・・・といった何気ないことをするのもとても楽しいものですね。

プールに飛び込むヒメナと浮き輪で楽しむかおり。プールに入る前の健斗。この後、健斗の水恐怖症が始まりました。。。

プールに飛び込むヒメナと浮き輪で楽しむかおり、そしてプールに入る前の健斗。この後、健斗の水恐怖症が始まりました。。。

ちょっと寒い日にはローマ時代の城壁の近くでお茶をいただき、その間に子供達は広場を走り回っていました。

とにかく子供達はよく走ること走ること…。マリアも走ります。

とにかく子供達はよく走ること走ること…。マリアも走ります。

雨の日には、皆でアストルガの名物のコシード(Cocido Maragato)をいただきました。コシードとは、ひよこ豆とお肉(牛肉、鶏肉、骨髄の入った骨、ハモン、チョリソ等々)とじゃがいもや人参を入れてことこと煮込んだ料理ですが、通常はこのスープだけを取り出し、スープと髪の毛のように細いパスタを一緒に煮ていただき、その次にお豆やお肉をいただくのが一般的です。アストルガのコシード・マラガトは、他の地域のコシードとは食べる順番が違い、お肉から開始。次にひよこ豆をいただき、しめにパスタの入ったスープをいただきます。

一皿目。最初からかなりの迫力です。

一皿目。最初からかなりの迫力です。

このお豆がホクホクとしていて本当に美味しかったです。スペインでは、このような状態を「バターのよう」と言います。

このお豆がホクホクとしていて本当に美味しかったです。スペインでは、このような状態を「バターのよう」と言います。

普段は小食なハイメも、この時はかなりしっかり食べていました。

普段は小食なハイメも、この時はかなりしっかり食べていました。

順番は違うものの味がよく染みていて本当に美味しく、皆で苦しくなるまで食べました。しかも、このお店はお代わり自由な上に、ナティーヤというカスタードクリームのデザートとスポンジケーキまでデザートに出て来たので、本当に苦しかったです。でも、美味しくて幸せでした。健斗がぎこちないながらも、一生懸命お豆を一粒一粒フォークで刺して食べていたのが印象的でした。

ナティーヤとスポンジケーキ。美味しかったけれど、本当に苦しかった…。

ナティーヤとスポンジケーキ。美味しかったけれど、本当に苦しかった…。

1歳半にして、お豆を一粒一粒フォークで刺して食べるのは…ひとえに食欲のなせる業でしょう。

1歳半にして、お豆を一粒一粒フォークで刺して食べるのは…ひとえに食欲のなせる業でしょう。

また、マリアはメイクアップのコースやアロマセラピストのコースを受講したこともあり、こういったことに非常に詳しい為、彼女の持っている化粧品を使って色々お化粧の仕方を教えてもらい、更には私の希望の基礎化粧品まで作ってもらいました。自分の好きな香りのエッセンシャルオイルを選び、肌質に合わせて二種類のクリームを作ってもらい・・・本当に幸せでした。

私の好きな香りを調合してくれました。本当に贅沢です。

私の好きな香りを調合してくれました。本当に贅沢です。

こんな風に食用の「お米のミルク」なるものを入れたりして…かなりホームメードです。

こんな風に食用の「お米のミルク」なるものを入れたりして…かなりホームメードです。

はい、出来上がり!

はい、出来上がり!

夫と彼女の夫が外で子供を遊ばせてくれている間に、二人で色々な話もしました。こうして彼女と子供達のこと、教育のこと、今後のパートナーの仕事と自分の仕事のこと等について話し、改めて色々なことが共有できる友人を持つ幸せを感じました。こういう時に、スペイン語を知っていて良かったとしみじみと思います。

彼女のお化粧の知識には脱帽。高い商品にはそれなりの良さがあることを教えてもらいました。

彼女のお化粧の知識には脱帽。高い商品にはそれなりの良さがあることを教えてもらいました。

子供達四人を一緒にお風呂に入れたのも良い思い出です。ヒメナとハイメはもうすっかり上手に泳げるので、プールでもお風呂でもちゃぷんと入ります。我が家の子供達はと言うと・・・かおりはまだ水をちょっと怖がるものの、プールでも楽しく遊んでくれるのでなんとか大丈夫。が、健斗は一度アストルガのプールで頭まで水に入れてから恐怖症になったようで、お風呂でも泣くようになってしまいました。「男の子なのに泣き虫ねぇ」と思ってしまいそうになりますが、普段はとてもご機嫌で楽しい子なので、「頑張ってね!」と心の中で応援です(笑)

女の子二人、男の子二人に分けてお風呂に入れていたのですが、結局最後は混戦模様。

女の子二人、男の子二人に分けてお風呂に入れていたのですが、結局最後は混戦模様。

フランは仕事があったにも関わらず、毎晩ヒメナとかおりの二人に絵本を読んでくれました。子供達を寝かしつける時は、マリアとハイメが一緒、フランと女の子二人が一緒、私が健斗と一緒、そして残ったギエルモが食後の片付けという日が続き、めでたく皆で分担作業ができました。
こういう新しい生活パターンがまた面白かったです。

彼らの子供達は補聴器を付けていない時は全く音が聞こえません。ヒメナは既に相手の口を見て話を理解しますが、それもあって、マリアもフランもスペイン語をしっかり発音するようにしています。その二人が言っていたのが、「怒る時に声を荒げる必要はないんだよ。真面目な顔をしてじっと相手の顔を見て静かに話せば、子供達は理解してくれるから。それに、うちの子供達の場合は、補聴器取ったら声を荒げても意味がないし。」ということでした。
我が身を振り返って、「あ、かおり、気をつけてって言ったでしょ!」「健斗、それは触っちゃダメー!」と、日々大声で対応しがちな私。確かに、声を荒げた所で子供はおかまいなしということもあるので、これからは気をつけようと思う良いきっかけになりました。

疲れきって寝てしまった女の子達。

疲れきって寝てしまった女の子達。

とても充実した休暇でした。そして、友人と久々にゆっくり過ごし、改めて良い友達に恵まれた幸せを感じました。本当にありがとう。
彼らに今度会うのが楽しみです。

マリアとフランの家から見えるアストルガの大聖堂と主教館。とても印象に残りました。

マリアとフランの家から見えるアストルガの大聖堂と主教館。とても印象に残りました。

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