Haruki's way

〜スペイン・この不可思議な国〜

Normandie 3 ノルマンディー上陸作戦

上陸作戦用の戦闘機その他の燃料補給場が、敵の攻撃の届かない海上に設置されました。

上陸作戦用の戦闘機その他の燃料補給場が、敵の攻撃の届かない海上に設置されました。


兵士達の眠る墓地

兵士達の眠る墓地

今回は、ノルマンディー上陸作戦特集です。ノルマンディー上陸作戦は、1944年6月5日に決行されました。一番有名なのは、連合軍の兵士達が海から浜辺に向かって走ってくるシーンでしょう。ですが、上陸作戦自体はその前夜から始まりました。第一陣はパラシュート部隊。これは空軍と陸軍の中間で両方の知識と技能が必要であることから、いわゆるエリート部隊だそうです。ドイツ軍はいつか連合軍が海からやってくると思っていたので、連合軍にとっては海からの攻撃だけでは制圧が不可能でした。このドイツ軍を翻弄する為にも、パラシュート部隊の目的は、ルートの要所要所を内陸から制圧していくことでした。ですが、悪天候と強風により、パイロットは勘を頼りに飛ぶしかなくなり、多くのパラシューターが敵陣の真ん中に降りて殺されたり、沼地に落ちて武器の重さでそのまま沼地に沈んで命を落としたり・・・と、様々な悲劇があったそうです。それでも、そのパラシュート隊のお陰でいくつかの場所を制圧することができ、結果としてその後の上陸成功へとつながるわけです。

連合軍が上陸したことで有名なOmaha Beach。これは暗号名でしたが、今ではその名前で呼ばれています。

連合軍が上陸したことで有名なOmaha Beach。これは暗号名でしたが、今ではその名前で呼ばれています。

パラシュートで有名な地はSainte Mère Eglise(聖母教会)。ここの塔に一人のアメリカ兵がひっかかりました。足を撃たれて動けなかった彼は死んだふりを装い、それによってなんと敵軍に撃たれずに済み生き残ったのです。その教会には今でも彼を模した人形がぶらさがっています。

聖母教会とパラシューター。

聖母教会とパラシューター。

よくできています!

よくできています!

ですが、当時その周りに降りたパラシュート部隊の多くの人たちがドイツ兵に射殺されました。

他の兵士が上陸した浜辺は、Gold Beach, Juno Beach, Omaha Beachなどがあり、その他有名な場所はLongues-Sur-Mer, Port-en-Bessin, La Pointe du Hoc, Arromanches等があります。浜辺には未だに当時連合国が使ったコードネームが残されているのも興味深いですね。

ドイツ側の要塞の一つ。これで浜辺に上陸する兵士を四方八方から攻撃したわけです。

ドイツ側の要塞の一つ。これで浜辺に上陸する兵士を四方八方から攻撃したわけです。

どの戦地でも色々な話がありますが、とりわけ有名なのは「プライベート・ライアン」で有名なOmaha Beachでしょう。あの映画の戦闘の様子はかなり悲惨で、私は30分近く続く上陸シーンの殺戮にぐったりした覚えがあります。個人的にはまた見たいとは思いません。。。ですが、ガイドさんの話によると、実際戦った人がツアーに訪れた際、「あの映画はまさにあそこでの戦いそのものだ。ただ、25分間ではなく、6時間だった。」と言ったそうです。たくさんの人を投入して制圧するには、あの浜辺は避けて通れなかったそうです。でも、10秒に一人殺されるのが6時間続く計算になる戦いって、想像を絶するものがあります。

心に残った話は、ひとつの村の小さな教会で救護活動をした2人の兵士の話です。彼らは20歳そこそこで1週間の訓練期間を与えられた後、その小さな教会に送られたそうです。送られた時にはたくさんの負傷兵が運ばれ、彼らは皆を助けたい一心で何と5日間寝ずに働き続けたそうです。そこには重症患者がどんどん運ばれ、医療器具も薬もほとんどない状態で、しかも救護兵はほとんど経験がないという状況だったにもかかわらず、死者が一人だけで、あとは全員助かったということです。そして、後にその教会の守護聖人が(誰か覚えていませんが・・・)病院の守護者として知られる聖人であることが分かったそうです。

教会内部

教会内部

私達がその教会に行った時、ガイドさんが、「救護兵の一人が60年前に棚の一番上に置いた包帯が、後ろの棚の上に今もそのままになっているよ。見てごらん。」と教えてくれました。その人が60年後に教会を訪ねた時に偶然思い出し、「そういえば包帯を置いた覚えがある。」と言って礼拝堂の隅の家具の上を見たらまだ残っていたそうです。それを一緒に見たのがガイドさんで、その再発見の喜びを語ってくれました。

この教会にあるステンドグラス、ドイツ軍の砲撃で一部が割れてしまいましたが、その後村の人の募金によって修復されました。一枚は村を解放したパラシュート兵、もう一枚は自由の女神とアメリカ国旗のステンドグラスです。今まであまりD-Dayについて知らなかった私ですが、私と同じ世代の人たちも参加して国のために戦ったという戦争を、日本にいる時より深く実感することができました。歴史を学びつつ、戦うことの恐ろしさ、平和の大切さを考える良い機会に恵まれたと思います。

パラシュート隊のステンドグラス

パラシュート隊のステンドグラス

米国旗のステンドグラス

米国旗のステンドグラス

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